脳の一番最初の反応は本能。
どう行動するのかを決めるのが自分。
本能は人生の責任を取ってはくれない。
人生の責任を取らなければならないのは自分自身。
人間以外の動物の行動を決める者は本能。
人間の行動を決める者は自分。
それが動物と人間の違い。
人間が理性や良識、道徳心や倫理観などと呼んでいるものは本能の一種。
人間以外の動物にもそれらは働いている。
物事がよく理解出来ていない人間が、
『人間には理性が有り、動物には理性が無い』
と主張したがるが、正確には
『人間には自分が有り、動物には自分が無い』。
動物は『遺伝子差による個体差』はあるが、
『自分というアプリ』がほとんど機能しておらず、
それ以上の個体差が生み出されない。
ある程度知能の高い人間が、
『個性』を重要視しようとする理由はここにある。
その異常な個性が科学を発展させ、文明を生み出すからだ。
(知能の低い人間が個性を嫌う理由もここにある。
個性を発揮されるとその分の計算が必要になるが、
それを思考出来るだけの知性が無い為、
『個性は要らない』となってしまう。
その知能差を、人間は『器』と呼んだりもする)
人間の中でも知能の低い人間は、
『自分』を育てる事が出来ず、
一生を『本能の奴隷 (動物(常に本能が優位な状態))』として過ごす事になる。
腹八分目。早寝早起き。
1日30分は運動する。
漫画やゲームやTVは1日1時間。
掃除や整理整頓。
宿題や仕事を先に済ませる。
禁酒。禁煙。
などなど
やろうと思えば簡単に出来る事なのに、現実には出来ないのは、
『自分』より『本能』の方が優位だからだ。
中途半端に自分というアプリが機能してしまっている為、
彼等の人生は『本能に敗北し続ける』ことで埋め尽くされてしまい、
強烈な劣等感を内包している。
特に人間は、
『本能よりも自分が優位な個体』が昔に比べれば多い為、
それに対する劣等感も重なってしまう。
その劣等感(敗北感)から目を逸らす為に、
他人や自分自身に対する攻撃を止められない。