フィクションが努力より才能を採用する理由

とにかく大衆は『才能』を好む
才能が存在するなら、『努力しない自分』を正当化出来るから

自分は
努力してないから成功していないのではなく
才能が無いから成功していないだけなのだと

エンタメは大衆を楽しませた時に、最大の利益を得る

そして
努力を表現するのは難しい上に地味
フィクションを作る人間の多くは努力が嫌い
嫌いだから現実では戦わずに妄想に逃避する
だから努力を知らないし分からない
知らないものは説明(表現)出来ない

だからフィクションは楽に金が稼げる
『華々しい才能という麻薬』をばらまき
大衆を楽しませる

 

 

スポーツ観戦をする人間は頭が悪い?

自分では何もしない人間は、達成感や満足感が得られない
他人の功績に寄生すれば、簡単に達成感や満足感が得られてしまう

知能が高いと、その快楽が偽物だと気付いてしまう
知能が低いと、その快楽が偽物だと気付けない

動物は、脳が出す快楽や苦痛にコントロールされて動く

簡単に手に入る快楽に飛びついてしまい
努力(苦労)の向こうにある達成感や満足感に興味が無くなってしまう

行動・挑戦が出来なくなってしまい
「自分は努力する才能が無い」と思い込んでしまう

成長を諦めてしまった人間は
他人を引きずり下ろす事で、自分の順位を維持しようとする

他人の粗を探しては、他人を引きずり下ろし
「コイツよりは、まだ自分の方がマシ」と自分を正当化する

正当化してしまうと更に
「それ以上努力をしなくていい」
という言い訳を自分に与えてしまう

他人を否定している時
脳は「優越感」というご褒美を与えてしまう

優越感は、劣等感や無力感を薄れさせる
劣等感や無力感が強い人間ほど、強く優越感を求めてしまう

優越感を得る為に
「見下す為の他人の粗探し」に注力してしまう

この時、最も簡単なのが「他人の失敗を探す」事

素人がプロに指図したり文句を言うのも
子供がいじめをやめられないのもコレ

挑戦している人間程、失敗しやすい
その失敗を笑うと、自分は挑戦出来なくなってしまう

更に、行動・挑戦が出来なくなり
劣等感・無力感だけが積み重なり
他人の足を引っ張ったり、他人の功績に寄生していないと
自分の心を保てない
という悪循環


自分を成長させる為に、何かを見て学ぶ分には問題無い
誰かの挑戦を見て、それを自分の挑戦の力にするなら問題無い

何もしないで
ただ擬似的に達成感や満足感を味わってしまうと
それはジャンクフードや麻薬でしかない

 

 

 

権力者は社会を変えられない

社会というものは
そこで生きている人間達の平均値で作られる

権力者も独裁者も
最大派閥の支持によって生み出される

親や教師が勉強しろと言っても
ほとんどの子供は勉強をしない

管理者側が全体の為に何かを提案しても
聞く訳もない

勉強しないまま
大人になり
社会に出て
理想通りにならない不満を

親が悪い!!
学校が悪い!!
上司、同僚、部下が悪い!!
会社が悪い!!
社会が悪い!!
国が悪い!!
時代が悪い!!

僕ちゃんは悪くない!!

自分で何も出来ない赤ちゃんは
保護者に不満を喚き散らす

 

 

 

動物は経済が分からない

動物には『経済』という概念が無い
動物は自分が生き延びる事で精一杯

だから
他人に何かを提供して、それが返ってくる
という事自体が理解出来ない

動物は、ただ環境から与えてもらうだけ、他者の命を奪うだけ
だから、他人に何かを与えるという行為が
『自分の物が奪われる』となってしまい、本能が拒否してしまう

経済はつい最近出来た風習で
今まで数千万年、数億年やってきた正解とは違う為
本能は経済が本当に『種の維持の為の正解なのか』を判断する事が難しい

経済は、急激な発展、進歩を作るが、それで滅んでは本末転倒だから

 

 

 

人生は誰からのプレゼント?

存在しない神や仏は
何もプレゼントする事は出来ない

自分が存在するのは
先祖が生き延びてきたから

他の野生動物と比べて
安全に生きられたり
怪我や病気を治す事が出来るのは
その社会を作ってきた人間達がいたから

今日の自分は
今まで自分が生き延びてきたから

人生は
先祖、人類、自分からのプレゼント
良くも悪くも


神や仏に感謝するのは
それが一番楽だから

そこには
『自分が人生を社会を作っている』
という責任も義務も無い

因果関係を思考する必要もない

与えられたものを受け取るだけの
赤ちゃんや幼児、動物の精神

再現性もなく
感謝という自己満足に浸っているだけ


誰かに何かをしてもらっても
それを正確に理解せずに
神や仏に感謝していると
誰も何もしてくれなくなる

するとその人間は
更に神や仏に頼る(依存する)という
悪循環に陥る事になってしまう

そうやって宗教は依存者を増やし
社会に無思考人間を増やし続ける


昔の人間が神に感謝していたのは
自分達の周りで起こっている現象を
ほとんど理解出来ていなかったから

その現象そのものや
その現象を起こしているであろう者に感謝する事で
『その状態を維持してほしい』とお願いしていた

しかし現象はそんな事で都合良く動いてはくれない

だから人間は現象そのものを解明し
『良い状態』を再現し
それを維持する為に努力してきた

そこにはエネルギーが必要だが
宗教や夢物語という麻薬が
そのエネルギーを奪ってしまう

 

 

 

なぜ殺人者の人権まで守らないといけないのか。なぜ人を殺す事がタブーなのか

人権というものは無条件で存在しているものではない
人間が作って、維持しているもの

死刑は殺人の容認であり加担でもある
その社会全体で殺人を肯定している事と同じ

『何か理由があれば人を殺してもかまわない』
となってしまうと、本能に従って動く猿は
自分の為にソレを利用しようとしはじめてしまい
人権は維持する事が出来なくなる

一昔前までの日本や、今の中国、北朝鮮、宗教国家
『権力に逆らう者は死刑』

殺人者を死刑にする事が
逆に治安の低下を招いてしまう事もある

殺人者を死刑にすれば、社会全体の犯罪は減るのか?
それとも理由があれば人権は守られなくても良いという事になると
社会全体ではどんな状態になるのか?

『殺人者の人権』を守っているのではなく
『簡単に人権が剥奪されない社会』を守る為には
(結果として)たとえ殺人者であろうとも
その人権の有無に対して慎重にならなければ
『その判断』はいつか自分達自身に返ってくる

人間は善でも悪でもなく猿
猿は猿の本能に従って動いてしまう
まず自分で考えられるだけの知能が必要


なぜ人を殺す事がタブー(やっては駄目な事)なのか

群れを作る事で生き延びてきた猿達は
群れ(自分・種)を維持する為に
『大した理由もなく仲間を殺してしまう猿』は
(同じ事が起こらない様に)排除しようとする

それは本能の普通の反応

殺人者を死刑にしても被害者は生き返らない

殺人者を死刑にする事で
殺人が起こらなくなり、群れが平穏になるのか

それとも『死刑という権力』を利用する猿が
平穏を失わせてしまうのか

なぜ人間がわざわざ『人権』というものを作ったのか
それは今まで人権は存在していなかったから
人間が人権を尊重できる動物であれば、わざわざ人権など主張する必要も無い

 

 

 

人間が理由や言い訳がないと動けない仕組み

全ての物質は物理に従って反応し
その状態を維持しようとする

脳も反応で動いている

脳は五感を使って
常に周囲から情報を収集し
そこから得られた情報を
反応する物と無視する物に選別する

食べ物や異性等の
種の存続の為の捕らえる反応

天敵やエネルギー浪費等からの回避反応

動物が行動する為には
その反応を生み出す為の
スイッチ(理由、言い訳)が必要