一部のインテリ(気取り)達は、
民主主義 = 衆愚政治
だと信じ込んでいるが、それは民主主義の本質が全く見えていないからだ。
そもそも結論を言えば、指導者も大衆も等しく愚かだ。
愚かな大衆が、愚かな指導者を選択し支持しているのだから。
これは、民主主義国家でも独裁国家でも同じだ。
名君・名指導者 (哲人(賢人)政治) 等は、ただの幻想(願望)に過ぎない。
下から見た場合、自分より上にいるものは
「自分より優れている筈だ」
という本能が働いているだけ。
自分より上にいる人間が
「自分と同じ・自分より劣っている」
と、自分にとって都合が悪い上に、その関係性を大抵の場合 変える事が難しい。
そこで人間は、現実をねじ曲げ、「自分より上の人間」を幻想(願望)というフィルターを通して見始める。
(自分の親・教師・上司・社長・国のリーダー が、自分より愚かだったら?
人間は、都合が悪いもの(変えられない現実)から目を背ける(意識から外してしまう))
人間は「集団の統治・統率」を「医者や弁護士等の専門職」と同列にみなしているが、両者は全く異なるものだ。
(本質的には同じなのだが。一部を完全に理解するには全てを完全に理解しなければならない為)
明確に言えば、現在の人間程度の知能レベルでは「集団の統治・統率の専門家」など存在しない。
(一時期 帝王学(中二病) なるものも流行っていたが、そんなものは幼稚な指導者の自己満足にすぎない)
極端に簡単に言えば、
人類は猿の時代から数百万年、独裁国家で種を維持してきた訳だが、
ここ最近、数千年程度で爆発的に数が増えてしまい、
当然 集団(国家)の個体数も数十匹から一気に数百万匹を超えるようになってしまった。
こうなってしまうと、「そこに生じる問題」も爆発的に増え、かつ 問題自体も複雑・多岐にわたり、とても数匹のボス猿達では処理する事が不可能になる。
そこで本能が出した(暫定的な)結論が、
「出来るだけ多くの個体それぞれに問題を解決させる」
というものだ。
人間は「それ」を民主主義と呼んでいる。
ちなみに、「多様性(思想・主義)・ダイバーシティ」が流行っているのも、全く同じ理由。
勿論、「個体それぞれに問題を解決させる」というものは原始的本能の一種だが、
猿の統治形態では、上位の権限が強過ぎ 下位の問題解決を阻害してしまう。
であるなら、全体の権限を平均化させ、全体で問題(現実)に対処させよう。となる訳だ。
しかし、本能は とても保守的でもあり、常に猿の時代の統治手法(過去の成功例)である独裁国家(ボス猿統治形態)に戻そう という力も強力に働いている。
人間(生物)は知能が低い個体程、原始的本能(過去の成功例)が優位に働く。
知能が低いと自分で「新しい成功例」を生み出す事が出来無い為だ。
権力や富を平均化しようとすると、
当然そこに猿の反応が起こる。
今まで強大な権力を私利私欲を満たす為に行使し、贅沢を貪っていた者や、
その権力者に媚びへつらう事でおこぼれに与(あずか)っていた者達は、利権を維持する為、
(ついでに、現実が見えていないインテリ気取り達も)
「民主主義は衆愚政治だ!!」
と喚きたてる事になる。
自分達(独裁制度)の愚かさ過ちは棚上げしながら。
インテリ気取り達が よく使う論法の一つが、
「愚かな大衆が権限を手に入れると、好き勝手な行動を取り始め、社会(集団)が崩壊する」
というもの。
しかし、
「権限を手にした者が好き勝手に振る舞う」とは、
「現在までの人類が構築してきた社会そのもの」の事であり、
とりたてて今までと変わる訳ではない。
そしてもう一つ。
「愚かな大衆は、知識や経験が少なく、判断能力も低いので、扇動者に支配されやすい」
というもの。
しかし、これもまた、
「独裁者の言葉を信じ行動してきた、今までの社会」
と同じであり、何が変わる訳でもない。
つまり、独裁体制や民主主義などの、統括思想(手法)が問題なのではなく、
『人類全体の質』が問題だという事になる。
しかし独裁制では、上位も下位も成長が著しく遅く
(独裁者の認識出来る狭い範囲しか反応出来ず、範囲外のものは無視されてしまう。
上位は私欲を満たす為に命じ、下位は自己保身の為に従うだけ という思考停止に陥ってしまう。
本来は、上位も下位も外側(環境)を注視しなければならないのに、
独裁制では、上位も下位も
「どう支配するのか、どう服従するのか」
という内側ばかりを重視し、ほとんど環境を見ていない)
環境に適応する事が難しくなってきた。
だから民主主義で、大衆に責任を持たせ、考えさせ、成長を促すしかなくなってきたという事だ。
(独裁が強くなる程)上位と下位では、
圧倒的に上位の数が少なく、
つまり視野が狭い。
一人の目と千人の目、
より多くの情報を獲得出来るのは どちらだろうか?
その組織の内情・その組織を取り巻く情勢 が不安定である程、
保守本能が強く働き、その組織は独裁色が強くなる。
(不景気やテロ・幼稚な隣国などは、典型的な「独裁の餌」となる)
また、一政権が長期化する程、支配服従関係が強化され、独裁も強化される。
それらによって生み出された権力層たちは、
楽に支配する為、独裁(利権)を維持する為
愚民政策を押し進め、大衆は愚かになる。
しかし同時に、大衆の愚かさに比例して権力者側も愚かになってしまう。
その結果、その組織は破綻し、崩壊する事になる。
つまり、為政者は必ず愚民政策とは反対の賢民(?)政策をとらなければならない。
のだが、現在の人類はチンパンジーに毛が生えた程度の知能レベルにしか達しておらず、
(全体の為に与えられた)権力を手にした者ですら、全体範囲で思考出来ず、自己の欲望(理想)を満たす為に その権力を消費してしまう。
最近では、「こんな人たち」発言などが分かり易いが、
体制側から見た賢民とは「為政者に服従する愚民」の事であり、
権力に逆らう民(独裁の弊害を指摘する賢民)は「非国民・売国奴・反日・(国家に対する)反逆者」に設定されてしまう。
そして、大衆が賢民と愚民を見誤った時、大衆及び為政者は多大な犠牲を支払う事になる。
『民主主義』は人間社会に何度も生み出されては殺されてきた。
現在の民主主義は また新たに生み出された赤子の様なもの。
今度こそ この生まれたばかりの 民主主義 を人類は うまく育てる事が出来るだろうか?