宗教家は宗教というものを
「神の言葉を伝える機関」
であるかの様に見せ掛けているが、宗教の実態は全く逆だ。
実際の宗教は
「宗教家の願望(欲望)を神に代弁させる事で叶えようとする集団」
に過ぎない。
宗教家は一見 善人の様に見せ掛けているが、宗教家の思考・行動は全て 自分の為。
自分が幸せになりたい。
自分が死んだ後も幸せになりたい。
自分が生まれ変わった後も幸せになりたい。
その為に神(仏等)の命令に従っているに過ぎない。
他人の為では無く、全て自分の為。
他人の為にどんなに犠牲になっている様に見えても、『それ』は道徳心や倫理観等では無く、自分の欲望を満たす・自分の目的を果たす為の利己的本能に従った行動に過ぎず、全て自分の為だ。
道徳心や倫理観といったものは、誰かに指図・命令されて判断・行動するものではなく、
必ず『自分の考え・責任』で行わなければならない。
せめて神なるものが居るなら、まだ救いがあるが、残念ながら 神(仏)の言葉 は、人類が積み重ねてきた知識・経験を、さも神からの言葉であるかの様に見せ掛け 利用し、大抵の場合 金や権力を手にしようとする浅はかなクズの言葉でしか無い。
だから宗教が人を救った数より、宗教(家)が人を殺した数の方が圧倒的に多い。
この世界に正義や善など存在しないが、知能が低ければ低い程 宗教(神)を信じやすく、正義や善にとりつかれやすい。宗教や国家が特に子供を洗脳(教育)しようとするのは その為。
子供の為の教育は受けさせなくても、神や国家に服従させる為の教育は熱心だ。
宗教の最も愚かな部分は、
『宗教・神』そのものが『妄想の産物』
であるが故に、
自身(宗教・神)を証明する事が出来ず、
『自分達以外』を否定し続ける事でしか、
自身を肯定する事が出来ない。
という点だ。
だから、宗教は常に『自分達以外』を攻撃し続ける訳だ。
はっきり言ってしまえば、宗教で生計を立てている人間は、社会で働かずに生きる為に、『神という概念』を利用して、金儲けをしているだけだ。
「全ての宗教」は「麻薬」だ。
偽りのやすらぎをもたらすが、病を治す(社会問題を解決する・真理を解明する)力など無い。
宗教は全て見せ掛けであり、中身は空だ。
この世界には神も仏も存在せず、正義も悪も存在しない。
ただ70億匹の猿がいるだけ。
猿しかいないから諦めろ。ではなく、
(現状の)猿の力で何とかするしかない。
他に選択肢など無い。
知能の低い個体程、思考努力を嫌い、「正解(神や聖人賢人や悪魔 等)」を求める。
幼児が大人(導く存在)を求めるのは、正常な本能だが、
いつまで経っても大人になれず、媚びへつらう事で庇護してもらおうとする行為は異常な状態だ。
猿や犬や猫にも、大人と子供が存在する様に、
人間もいつまでも子供ではいられない。
いつかは自分の頭で考え、自分の責任で行動しなければならない。
しかし、「大人になれない子供」は「大人」の存在を決して許さない。
「大人」が存在すると、自身が「子供」だと露呈してしまうからだ。
だから「大人になれない子供」は「大人」を始末するか排除する事に腐心する。
そして「子供の国」を構築する。
しかし当然、「子供の国」は「子供の論理(妄想)」で構築されているので、やがて破綻し崩壊する。
人間は「それ」を歴史と呼んでいる。
現代の医学・科学は、1000年前の人間からすれば魔法であり、神の力だ。
現実には魔法など存在せず、
存在しない神が人間の為に力を振るう事もない。
人間が「良い社会」を創りたいのであれば、「存在しない楽な道(宗教・オカルト)」を探さず(騙されず)、一歩一歩 自分達を向上させる事に集中すべき。
宗教を信じている全ての人間は、宗教について全く無知だ。
(宗教について無知だからこそ、宗教を信仰する事が出来る)
宗教家は進化論を否定する事で、創造論を正当に見せ掛けるのではなく、
創造論自体を科学的に証明しなければならない。
昔は、「世界の知識」をほとんど持たない民衆に、同レベルに無知な宗教家が自らの妄想を演説するだけで洗脳する事が可能だったが、
現在では その手法では洗脳が難しく、進化論を否定する事で創造論の支持者を増やそうとしている。
しかし、その行動自体が
「宗教は創造論を証明するものを何一つ持っていない」
という事の証明だ。
宗教は何千年も昔から、
「自分達こそが真理を知っている」
と主張しているが、
人類が地球や宇宙の姿を正しく認識出来たのは、つい最近だ。
彼等は、世界の神秘を知っていると主張したがるのに、
彼等がなんらかの問題(社会問題・世界情勢・難病 等)を解決した事は無い。
彼等は、科学よりも宗教の方が正しいと主張するが、
宗教が科学の前に出た事は無い。
宗教は科学の遥か後ろを付いて回っているだけ。宗教とは科学のストーカーのようなものだ。
問題を解決するのは「観察(科学)」であって「宗教(妄想)」では無い。
宗教家の頭の中にあるのは自分の利益・安全だけ。
「神の声が聞こえる・神の教えに従っている」などと主張する人間達が実際にやっているのは「金集め・権力集め」だけだ。
彼等がやっているのは「功績の横取り」。
彼等は、人類が築き上げた文明から生み出される安全を「神の加護」と主張し、
人類が本来持っている倫理観や道徳心などを、神や宗教が生み出し与えたものと主張する。
「彼等の行い」を善悪で評価するなら、明確に「悪」だ。
全く無駄に費やされている「宗教に関する金や人材」を、正常に使う事が出来れば、
相当の社会問題を解決する事が出来るだろう。
人類に宗教など必要無い。
何故なら、もうすでに、
善も悪も正義も道徳心も倫理観も良識も良心も協調性も
妬みも僻みも優越感も劣等感も罪悪感も
勇気も臆病も狭量も寛容も
失望も絶望も信頼も希望も
喜びも悲しみも怒りも憎しみも愛も、
『全て』は人間の中に存在しているからだ。
神や悪魔に教わる必要など無いのだ。
自分の中にあるものに気付き、
それを育てればいいだけ。