グルメ番組 〜パンとサーカス〜

メディアは国民を映す鏡。

(メディアが無数の情報の中からそれを選ぶのは、それが利益(バナナ)になるからだ)


何処を見てもグルメ グルメ グルメ・・・

うんざりするね・・・

他に興味が無いのだろう・・・。


ニュース番組でさえ、5分10分世界情勢や政治の情報を扱った後は、延々とグルメ・旅行・娯楽 情報が流れる。


「政治や世界情勢など興味無い!」

「おいしいバナナが食べられれば、それでいい!!」

「それ以外の事には一切興味が無い!!」


もし、政治や環境汚染の影響が「自分の範囲内」に入ってきたら、

日本死ねっ!」



・・・まぁ、仕方無い。

まだ猿から人間の真似事を始めて数万年程度しか経っていないのだから。

人間なるものに成るのは、まだまだ先の話。


人間社会が平和であるなら、グルメに興じる事も構わないだろう。

しかし現在の人間社会は、解決しなければならない問題が山積みであり、それらを放置しての現実逃避は滅亡の結末が待つだけだ。(アリとキリギリス)

日本死ね」自体は、普通の人間の反応であり、問題では無い。

問題なのは、

「人間は自分の範囲内に入ってきた情報しか認識する事が出来ず、ほとんどの人間はそれを意識する事すら出来ない」

という事だ。


「人間が認識(共感)出来る範囲」

には個体差があり、

知識や経験が多く、精神的に成熟している人間程 範囲は広く、

知識や経験が少く、精神的に未成熟な人間程 範囲は狭い。


人間はそれを 器 と呼んだりもする。

他を認識・共感出来ない人間は、他の為に思考・行動する事も無い。


その範囲の極端に狭い人間の事をサイコパスと呼ぶのも一時期流行ったね。



毎日 人が死ぬニュースを目にしても人間は気にも止めないが、

「自分の範囲内にいる人間」が死ぬと、脳は(その距離に応じて)強く反応する。



わざわざ猿の惑星などという映画を作る必要など無い。

ここが猿の惑星なのだから。

一時期ゾンビものも流行ったね。

アレは人間の事だ。

目の前のバナナ(利益)に反応して動くだけ。

他の情報はほぼ全て遮断・無視される。



(ちなみに政治を扱っている政治家の半分程は政治自体には興味が無く、頭にあるのは利権という名のバナナの事だけ。

それは勿論、政治に興味の無い人間が、政治に興味の無い立候補者を当選させているからだ(類友))





人間は「金さえあれば何とかなる」と思い込んでいて、

環境を金に変えては、せっせと金を溜め込んでいるが、

「金に変えてしまった環境」を元に戻すには、100倍以上の金と時間が必要になる。


「金」という道具は、人間社会内では便利な道具だが、

人間社会の外では全く無価値だ。


人間社会という井戸の内側にしか興味の無い人間は、井戸のちっぽけさを知らず、

自分が「世界を知らない」という事を知らない。

無知の知」の言う所の「無知な状態」だ。

(知識が少ない状態を無知と定義すると、全ての人間が該当する。「無知」とは、自身の知識が矮小である事に全く気付けていない状態。無知の知とは、それに気付く事)



人間が

「理性・自制心・良識・道徳心・倫理観」

などと呼んでいる

「原始的本能を抑制しようと働く本能」

を、目先の利益で抑制し、環境を破壊し続けるなら、そのちっぽけな井戸も崩壊する事になるだろう。

(人間は理性の壊れた動物)



「自分」

「家族」

「親友」

「属している集団(企業・学校・性別・世代・宗教・民族・国家)」

「人類」

「生物」

「地球」

「世界全体」


など、どの範囲まで思考(認識・反応)する事が出来るのかで、

それぞれの人間の答えは決まる。

最近の言葉だと「〜ファースト」という奴だ。

「何」を基準に思考するのか。


しかし人間(生物)は、

「遺伝子が決定した結論(本能・感情・情動)」

に従うのは得意でも、

「自分で基準を設定する」

という事がとても苦手だ。

(ほぼ全ての人間は、自身で基準を設定する事無く人生を終える)

人間自身は「価値観という基準」を持っていないので。

必然的に「遺伝子の価値観(情報)」に依存せざるをえない。





映画の中の難病の主人公には感情移入し涙を流すが、現実に難病で苦しんでいる人間には見向きもしない。

どうでもいい。関係無い。興味無い。

古典的言い回しに、愛の反対は無関心だ。というものもあるが、

結局の所、全ての愛は自己愛に過ぎず、

「自分を楽しませるもの」

に脳が反応しているに過ぎない。

その範囲に個体差があるだけ。


勿論、それは善でも悪でも無く、ただの本能。


(人間は、あまりにも知能が低いので、意志(意思)や人格が存在していると錯覚(つじつま合わせ)しているが、人間(生物)にあるのは本能だけだ)


簡単に言えば、

「創作の中の人物」は創作だという意識が働き、必要以上に感情移入する事は無い。

しかし、「現実の苦しんでいる人間」に関わってしまうと、

「それ」を どうする事も出来無い自分の無力さに直面する事になり、多大なストレスが発生してしまう。


だから人間はフィクションには夢中になるが、自分の範囲外の現実からは目を背ける。