叱れない時代

『叱れない時代』になったとよく聞くが、

正確には『叱り方の下手さ』が露呈しているだけ。

一昔前までは『無能さゆえの気合いと根性の時代』。

口に咥えた棒が柱に引っ掛かっても、
気合いと根性で棒や柱をへし折っても前に進んできた。

しかしそれでは被害(損害)が大きく生産性が低い事に気付き始める。

戦争とかね。


頭が悪く指導力など全く無くても、
怒鳴って殴りつけていれば、
子供や部下、選手などが自力で努力工夫し、
結果として成果は生み出されていた訳だ。


そもそも叱らなければならない状況(立場差)になるという事は、
自分の指示・采配の不手際以外の何物でもない。

赤ちゃんが乾電池を飲み込んだのを見て、
赤ちゃんを怒鳴り付ける事に何の意味があるのか?

自分の無能さに気付きもせず『叱れない時代になった』と嘆いている訳だ。

努力も工夫も思考もせずに、
自分の思い通りにならない事に癇癪を起こしていた子供が、
癇癪が起こせなくなったフラストレーション(欲求不満)を、
自分に都合が良いように『叱れない時代になった』と嘆いているだけ。


生きにくい時代になったと嘆いている人間は、
生きにくいのは時代のせいではなく、
自分の無能さの責任だという事に気付けない。


常に自分を優先し、危険な運転を繰り返し、
人をはねてしまい、車に乗れなくなる。

すると『車に乗れなくなった!』『生きにくい時代だ!!』。

知能の低い人間は、因果関係を理解する事がとても苦手で、
『今この瞬間の自分の状況』しか思考出来ず、
常に自分を被害者に設定してしまう。

『あいつがあそこに居なければ、赤信号無視だけで済んだのに!
 あいつが悪い!!』

『なんてついてないんだ』『運が悪い』と嘆く。

そしてそこに賛同者があらわれ、

『例え青信号だったとしても、
 もっと周囲に気を配って横断歩道を渡らないと駄目だろ!!』。

勿論、彼等は自分が横断歩道を歩く時、そこまで注意を払わないし、
自分や家族が信号無視の車にはねられると怒り狂う。


一昔前までの人類は大体こんな感じ。