企業努力

幼稚な組織という物はどうしてもリーダー中心に行動理念が決定してしまう。
健全な組織とは理念の集合体でなければならない。
(基本的には似た価値観を持つ者同士が集団を作る)

人間(生物)は自分の理念(行動原理)に従って行動している時、労を厭わず最大の能力を発揮する。
理念を阻害するという事は、その人間の能力を阻害するという事だ。

古典的表現で言えば
『天職 = 求められている事 × 自分が出来る事 × 自分がやりたい事 』
その内『自分がやりたい事』が抜けていると、ただの作業になってしまい、2/3の能力しか発揮出来ない。
自分の理念を押し付けたり、一つの理念に統一する事はリーダーの仕事ではない。
より多くの理念を実現する為に、手助けをしたり、まとめたりする事がリーダーの役割。

仕事でも勉強でもスポーツでも、
わざわざ他人の理念を阻害した上で頑張れと言う人間も多いが、
全く逆効果。
大抵の場合、自分に服従させる(自分が楽をする)為にやっているだけ。
頑張る事を邪魔しているのは頑張れといっている本人。

大体のリーダーは支配者に成ろうとするが、本来リーダーに求められている役割とは親の様なもの。(支配者に求められている役割も本来は親)
しかし支配者と親では労力に雲泥の差が生まれる。
支配者は自分の為に周りを使えばよいが、
親は子供の為に自分を使わなければならなくなるからだ。
だから能力の低いリーダー程 支配者になりがちだ。
支配し小さくまとまり自己満足に浸るか、
理念を手助けし最大限の能力を発揮させるか。

その個体が最も能力を発揮出来る場所に配置し、環境を整えなければならない。

全力で仕事・勉強・スポーツさせたいのであれば、全力で遊ばせることだ。
ゲームは1日1時間と親が決めても、子供は2時間でも3時間でも夢中でやろうとする様に。
そして十分な休息を取らせる。
すると翌日もまた当たり前に全力でやろうとする。
『いかに楽しませるか』がリーダーの力量。

仕事や勉強やスポーツなどを辛く苦しいものだと認識させるリーダーは無能なリーダーだ。

人間(生物)はどうしても楽な方・自分がやりたい方を選択してしまい、
それこそが唯一絶対に正しい手法・正義だと自己正当化を始めてしまう。
そしてそれを自分で見る事は出来なくなる。

多種多様な理念を内包する組織は成熟した組織。
それはほとんどの場合リーダーの許容範囲で決まる。


商品の質を落とし、
環境を金に変え、
従業員の給与を削って会社の利益を上げ、
経営者や役員の給与を増やす事は企業努力ではない。

(勿論、利益を上げる事は重要事項ではあるが、必要以上に利益を上げる事に拘る必要など無い)

より良い商品を作り、顧客や従業員(経営者・役員を含む)を幸福にし、環境とのバランスを取る事などが企業努力だ。

しかしそれは自分の利益の為だけの思考よりもはるかに高度で複雑な思考が必要になる。

誰かの役に立ち、その対価として報酬を得る。

どうやったら役に立つのか?という事より、
どうやったら利益を上げられるのか?という事ばかりが優先され、
本来の『役に立つ』をないがしろにしては本末転倒。
そんな組織は短期的に利益を上げられたとしても長期的には社会や環境に害悪でしかない。