日本会議という宗教集団について

日本会議のページを見ると


>>日本会議とは

 私達「日本会議」は、前身団体である「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」とが統合し、平成9年5月30日に設立された全国に草の根ネットワークをもつ国民運動団体です。
 私達の国民運動は、これまでに、明治・大正・昭和の元号法制化の実現、昭和天皇御在位60年や今上陛下の御即位などの皇室のご慶事をお祝いする奉祝運 動、教育の正常化や歴史教科書の編纂事業、終戦50年に際しての戦没者追悼行事やアジア共生の祭典の開催、自衛隊PKO活動への支援、伝統に基づく国家理 念を提唱した新憲法の提唱など、30有余年にわたり正しい日本の進路を求めて力強い国民運動を全国において展開してきました。
 今日、日本は、混迷する政治、荒廃する教育、欠落する危機管理など多くの問題を抱え、前途多難な時を迎えています。私達「日本会議」は、美しい日本を守り伝えるため、「誇りある国づくりを」を合言葉に、提言し行動します。
 また、私達の新しい国民運動に呼応して、国会においては超党派による「日本会議国会議員懇談会」が設立されています。私達は、美しい日本の再建をめざし、国会議員の皆さんとともに全国津々浦々で草の根国民運動を展開します。皆様のご声援をよろしくお願いします。





つまり彼等は、

「美しい日本」 「誇りある国づくり」

という「メンツとプライド」が最重要事項であって、

その「メンツとプライド」を守る為であれば「戦争」も厭わない。

いや「メンツとプライド」を守る為には、積極的に戦争をしなければならない。

と主張している。

その為に彼等は政治家や社会に働きかけ、「憲法改正」に奔走している訳だ。

「戦争が出来る国」を作る為に。



彼等の思想は「戦前の日本」と全く同じ。


国民は国(権力者)に従い、国民の命を犠牲にしてでも「崇高な日本」を世界中に知らしめなければならない。

(「教育の正常化」 → 国民の奴隷化

「美しい日本の再建」 → 戦前の縦社会

「伝統に基づく国家理念」 → 戦前の独裁国家

という幼稚で自分勝手な子供論理。



彼等は「天皇崇拝(身分制崇拝)」を堂々と標榜しており、当然「平等な社会」など望んではいない。

彼等は未成熟であるが故に原始的な本能が強く、権力者に媚びへつらう事に安心感を覚え、縦社会に依存して生活する事を好む。(猿の時代は「それ」が当たり前だった)

そして自身が権力を崇拝するが故に、「自分より下の人間」に対して「絶対的な服従」を当然な事として要求する。

例えば、日馬富士の行動がそれであり、周りにいた人間がそれを止めなかったのも「下の人間は服従すべき」という認識(慣習による洗脳)があったからに他ならない。

(貴乃花に対する処分も、報告義務違反の体(てい)の「組織に服従しなかった事」に対する処分であり、

相撲協会がやっている事は日馬富士がやった事と全く同じだ。

だから相撲協会が変わる事も無い。

ほとんど相撲しかやってこなかった子供が、狭い相撲の世界の中で「上に従わない者には罰を下して当たり前」という指導を受け続けているのだから。

相撲という狭い世界の支配者でもある相撲協会の理事の面々のほとんどは、貴乃花の様に相撲に対して理想がある訳でも無く、利権とプライドを確保する為に その座に居座っているに過ぎず、

横綱」と「スポーツのチャンピオン」は違う。と主張した所で、

彼等に「相撲(人生)」を教わっているのだから、現在の力士が 横綱というものをスポーツのチャンピオン(金と名声を手に入れる為の手段(あくまで彼等の言い分)) としか見なしていないのも自明の理だ。


個人的意見を言えば、もう相撲を見る事も無い。

NHKには相撲の放送を止めてもらいたい。

強制的に徴収されている受信料が相撲協会という暴力組織に流れる(暴力組織を支援する)事になってしまう。


後、相撲協会(または人類社会)が解決しなければならない大きな問題が二つ。


度々メディアに出てくる「日本相撲協会評議員会」。

形上は過半数が外部有識者で構成されているらしいが、メディアで見る限り、彼等は「相撲協会の忠実な手下」でしかない。

狭い世界で「罰を下す側」に流動性が全く無い場合、

(残念ながら人間は猿なので、外部の目(圧力)が無いと)

自浄効果は生み出され無い。


相撲協会評議員会が やたらと「膿を出し切る」とアピールし、さも自分達が善や正義であるかの様に見せ掛けているが、

「膿」とは 彼等そのもの の事だ。


相撲界に限らず(特に大企業・警察・軍隊 等)この手の問題が起こると、メディアではやたらと「統治能力不足」と馬鹿の一つ覚えに繰り返し始めるが、

それは全く見当外れな答えであり、全く問題の本質を見ていない。

組織から暴力を排除する為には、

「その思想(暴力・権力に頼った(原始的)問題解決手法)」

を排除しなければならない。

にも関わらず、統治(支配)能力を強化する事は、「暴力(権力圧力)を助長(パワハラ・セクハラ・差別・いじめ 等の横行)」し、大きくなってしまった問題を「世間から覆い隠す」為に使われるだけであり本末転倒でしかない)




彼等にとって「国」とは国民の事ではなく、「彼等の中だけに存在している理想の国」だ。

彼等の論理の全ては

「自分達こそが正しい日本国民だ」

という傲慢さの上に構築されている。

(自分達小数の運動を「国民運動」と連呼している事が その証明。

彼等は(視野がとても狭いので)常に自分(達)の考えが正統であり、主流であり、多数派だと思い込み、そう見せ掛けようとする)
だから、彼等と違う意見・思想を持つ人間は「非国民・売国奴反日」に設定されてしまう。


彼等は声高に「日本を守る」と喧伝しているが、今の日本にとって最も危険な存在は、

北朝鮮でも中国でもロシアやトランプでも無く、

日本を「メンツやプライドという原始的な本能を満たす為」に戦争国家に作り替えようと邁進している「日本会議」だ。


彼等が守りたいものは「(自分達の)プライド」であって日本では無い。


そもそも何故「日本を守る為」に憲法を改正しなければならないのだろうか?

それは自分達のプライドを守る為に、「自衛」では無く「積極的戦争」を行使したいからに他ならない。

それには現在の憲法は邪魔な訳だ。

憲法改正は彼等が国(国民の命)よりもプライドを優先している事の証明だ。






彼等は、とてもコンプレックスが強く、であるが故にとても臆病で「自分を守る為」に とてもプライドが高い。

彼等の様な人間は、常に自分(達)以外に不幸の責任を探す。

未成熟な人間程 無条件に自分を善(被害者)に設定し、他を悪(加害者)に設定する。

未成熟な人間にとって、それが一番 楽で都合が良いからだ。


本来「それ」は赤ん坊や小さな子供が自分を守る為の防衛本能であり、

大人になる(成熟する)につれ逆転していき、他では無く自己の責任を問うようになる。

しかし人間の中には「子供のままの大人」が、いつの時代も一定数 存在している。

彼等は「それ」の集まりだ。(類は友を呼ぶ)


彼等は未成熟であるが故に、人間が「正義感」と呼んでいる原始的な本能に支配され易く、攻撃性がとても強い。

彼等の正義感は、

とても自己中心で自分勝手で、他を顧みない。

「一億総玉砕」などは その典型。




実は「日本会議の様な集団」は、日本だけの問題では無い。

世界中のニュースや歴史を見れば、国や時代を問わず「日本会議のたぐい」が存在している事に気付くだろう。

「彼等」は様々な問題や悲劇を引き起こしている。

しかし彼等に その自覚は全く無い。

何故なら彼等は「自分達は絶対的に正しい」と信じ込んでいて、かつ「自分達を客観的に見る(検証する)」という能力が全く育っていないからだ。



世界中に彼等は存在しているが、彼等同士に繋がりは無い。

ほとんどの場合に於て、彼等はお互いに見下し合い、罵り合い、争い合う。

何故なら彼等の中では、

自分達こそが至高の存在であり、

自分達以外は間違っていて劣っている存在でなければならないからだ。(自分の自尊心を保つ為に)


例えばネット内で日本人と韓国人が罵り合っているのはほとんどが「彼等」だ。

勿論これは日本人韓国人だけがやっている行為では無く、世界中でネットの無い時代から連綿と続いてきた原始的な本能だ。



最近の分かりやすい例を挙げれば、白人至上主義者達も彼等の一種だ。


彼等の共通点としては、

「自分達至上主義」

「多様性や様々な自由の否定・排除」

「彼等が団結や結束と呼ぶ服従の強要」

などが挙げられる。


彼等はとても視野が狭く短絡的で、

議論よりも脅しや暴力・戦争などによる原始的な問題解決手法を好む。(未成熟な彼等には「それ」しか選択肢が無い。人間と猿の違い)

そして短絡的であるが故に(被害者意識が肥大し)、とても執念深い。



彼等は心が子供であるが故に、本当の子供を嫌う。

公共の場などで子供や妊婦・子供を連れた母親等にキレているのは彼等だ。

通常の大人であれば、ある程度 子供を許容するが、彼等にとって子供は対等な存在となってしまい ほとんど子供を許容する事が出来ない。

例えば、通常の大人であれば子供相手に勝った所で大人気ないという様な罪悪感などが生み出されるが、

彼等の中では子供は対等な存在なので、子供相手であっても容赦は無く、勝てば優越感満足感を存分に味わう事になる。

(彼等は基本全てに於て子供なので能力が低く、優越感満足感達成感等を渇望し、子供相手でも勝利を得る為に必死になる)

勿論、親は子供に公共性を教えるべきであり、野放しにすべきと言っている訳では無い。

(特定の主義思想の強制や社会への服従の事ではなく、「集団全体でバランスをとらなければ、社会を維持していく事は出来無い」という意味)

公共の場に於て、他に迷惑をかけている子供を放置している親(保護者)は彼等だ。

彼等は基本的に自分以外に興味が無い。

だから、自分に対する被害にはとても敏感だが、自分(達)が他に迷惑をかけていても全く関心が無い。


少し前に子連れで議会に参加しようとした事が問題視されていたが、

子供がいるだけで仕事が出来なくなるのはプロとして どうなのだろうか?

明らかに子供に危険がある場合を除いて、子供がいるから会議が出来ないという言い訳は全く理解に苦しむ。(小学生の頃、校庭に犬が迷い込み授業にならなかった事を思い出す。議員とは小学生の集まりなのだろうか?)

母親は24時間365日子供の面倒を見ながら家事をこなしているが?

(会議場に野生の熊や虎が乱入してきた訳でもない。子供が一人入っただけで会議不可能?

おそらく彼等は子育てどころか家事もろくにした事がないだろう。

だから子供の対処法を全く知らず、自身の無力無能を露呈させない為に 子供を排除する という選択肢しか無いのだ)


勿論 彼等にも種の存続という強力な本能は働き、子を作るが、

彼等にとって子供はペット(自分を満たす道具)か、

自分を飾るステイタス(社会に対するアピール)に過ぎない。


彼等にとって子供は所有物の一つに過ぎず、であるが故に人権(自分と対等)など認めず 自分の思い通りに動かそうとし、子供がそれに抵抗するとヒステリーを起こし「躾(しつけ)」と称する虐待が始まる。



「子供の泣き声」は人間の本能を強く刺激する。

子供は幼い程 自分で問題を解決出来ず、すぐに深刻な問題に変化しやすい。

簡単に言えば、幼い人間程 死にやすい。

だから周りにいる大人に問題解決させる為に、人間は子供の泣き声に敏感に作られている。

しかし彼等は「自分自身が子供(面倒を見てもらう側)」なので、子供の問題を解決する(面倒を見る)事が出来ない。(勿論 解決する気もさらさら無い)

彼等にも「子供が泣くと、その問題を解決しなければならない」という本能は働くが、その問題解決能力が無い為

「彼等には強いストレス」

がかかる。

だから彼等は そのストレスを回避する為に「子供の泣き声」を強く拒絶する事になる。

「子供を黙らせろっ!」
「公共の場に子供を連れてくるなっ!!」

となる訳だ。自分が子供だった頃の事などすっかり忘れて。




問題を起こす人間 = 彼等 と決めつけている訳では無い。

彼等は とても自己中心的で自分本位な思考・行動を選択し、あらゆる問題を引き起こす。

最近の分かりやすい例では「あおり運転」。

通常の大人から見れば「何故そんな事で?」という様な些細な事でも、彼等からすれば許し難い行為に映る。

少し前の例で言えば、

電車内で騒いでいるのを注意すると、「恥かかせやがって!」と逆恨みするアレ。

彼等には加害者意識は全く無く、被害者意識は異常に高い。

体は大人だが、頭脳は子供。

某マンガの逆パターン。

だから、慰安婦問題や過去の侵略行為 等には逆ギレし、北朝鮮や外国のテロ等には過剰に反応する。





「彼等」への対応策としては、

基本的には「相手にしない」事だ。(虐待等を見て見ぬふりをしろと言っている訳では無い。中途半端に介入すると虐待はより酷くなるだろう。いじめなども同じ)

彼等は何の根拠も無く「絶対的に自分達は正しい」と妄信しているので、

そもそも相手(こちら)の話を聞く気が無い。

彼等と議論は成り立たないが議論になってしまった場合、事実を列挙するだけで良い。

彼等は自分(達)に都合が良いもの

(主に自分(達)の優越感・自尊心を満たすもの

(それはもはや自尊心では無いが、自尊心を持たない彼等には「それ」が自尊心の代用品となる)

、または被害者意識を高めるもの)

だけに注目し、

自分(達)に都合が悪い全てのものから目を逸らす。(子供)

だから彼等が目を背けている事実を、彼等の前に提示するだけでいい。


彼等は、

「自分の知識が世界の全てだと思い込んでしまい、自分の知識だけで世界を構築する」

「自分(達)は世界の中心で、特別な存在でなければ気が済まない」。


古典で言えば、

地球は平らで、
地球は世界(宇宙)の中心で、
人間は神の創った特別に神に愛されている存在。

(子供の思考。子供の論理)

だから彼等が目を背けている

「地球は丸い・地球は世界の中心では無い・人間は動物の一種に過ぎない」

という様な事実を提示するだけ。


根本的な解決策としては、人類全体の知識レベル知能レベルを向上させ、彼等の様な「子供のままの大人」の割合を少なくする事だ。



ちなみに全ての人間の中に「彼等」は住んでいる。

例えば、

大した検証もせずに自分の知識が絶対的に正しいと妄信したり、

カッ!となって感情(本能)的に行動したりする。

「それ」が彼等だ。


「それ」を自覚しコントロールし、人間として振る舞うのか、

「それ」に支配され、猿に戻ってしまうのか、

その違いがあるだけだ。