哲学と科学と宗教

人間は『哲学』と『科学』と『宗教』の違いが、全く理解出来ていない様に見える。

(特に、哲学者・科学者・宗教家 などと自称している人間程)

この三つの違い(本質)を、簡単に説明してみよう。



『哲学』を説明する為には、まず『科学』を説明しなければならない。

何故なら、哲学は常に科学の周りに存在しているからだ。


『科学』とは何か?

人間は、

『この世界を動かしている法則(物質の性質)』を、

『人間の言語(論理)や数式に訳したもの』を、

『科学』と呼んでいる。


その『科学』の外側に広がっている、

『(宗教家や一部の科学者たちが「神」と呼んでいる)人間が言語化出来ていない法則(世界)を、理解しようとする行動』

の事を、人間は『哲学』と呼んでいる。


そして、1000年前、2000年前の『科学や哲学』(の表面)を寄せ集めたものを、人間は『宗教』と呼んでいる。



『物理学』とは『物理法則(世界)を解明しようとする学問(行動)』の事。



例えば、目の前に大きな紙があるとする。

その紙の中心に点を打つ。

その『点』は人類だ。

その点を中心として小さな円を描く。

その『円』の内側は科学。

円の外側は人類が理解出来ていない森羅万象。


円(科学)のすぐ近くの法則を理解しようとする行動を、人間は科学的アプローチと呼び、

円(科学)から遠く離れた法則を理解しようとする行動を、人間は哲学的思索と呼んでいる。



昔の哲学者が解明しようとしていた現象の中で、現在では解明されている現象は、哲学ではなく、科学として説明される。

つまり、科学の領域は時代を経るにつれ広がっていき、哲学の範囲も移動していく。

しかし現在の科学は生まれたばかりの試作品程度のレベルであり、哲学の位置もほとんど変化は無い。




宗教は『哲学や科学の表面を寄せ集めたもの』だが、

宗教は『科学や哲学』では無い。

何故なら、

科学や哲学は『現実(世界)を理解(解明)しようとする行動』の事だが、

宗教は『自分(達)に都合が良い妄想(願望)に説得力(周囲や自身に対して)を付加する為(こじつけの為)に、科学や哲学を利用しているだけ』だからだ。


科学や哲学が相手にしているのは『現実(世界)』であり、

宗教が見ているのは『自身の妄想』だ。



科学や哲学は『答え(現実)を解明する為』に試行錯誤するが、

宗教では、先に『答え(願望)』が存在し、その答え(妄想)に擦り合わせる為に、科学や哲学を利用し、現実(論理)をねじ曲げ、願望に着地させようと こじつける。

全ては神(人間・善)の為。

全ては神の意思。

正義や善や愛 などは絶対的に正しいものであり、それを疑うものは悪。




宗教家は(思考を放棄しているが故に) よく哲学者を気取りたがるが、

哲学とは『解明されていない現象を解き明かそうとする行動(姿勢)』の事であり、

現実から目を逸らし、妄想だけを見て思考を放棄している宗教家は哲学者には成り得ない。


哲学者を自称している人間の90%程度は、自分を哲学者だと思い込んでいる宗教家だ。

現実を解明する事よりも、自分の願望に執着してしまっている。


(いつの時代も一定数いるが)近年また問題視され始めている

『似非(えせ)科学・歴史修正主義者・陰謀論者』たち。

彼等は 科学者・哲学者・有識者 を自称している ただの宗教家(中二病患者)だ。



例えば、

『人間が想像する様な神が存在しているのか?』

を考察・検証する事は科学や哲学だが、

現実を解明(真実を追究)する労力から逃げ怠ける為に、何の検証もせずに

『神は存在する』

『人類が説明出来ない全ての現象は神の力』

と決めつける(信じる)行為は宗教だ。


(だから宗教世界では、

神に祈れば(媚びへつらえば)全ての問題は解決(解明(悟り))される。問題が解決されないのはお前の信心が足らないからだ!もっと宗教に服従しろ!もっと金を払え!

となってしまう訳だ。

現実と宗教には何の因果関係も無い。神に祈っても現実は何も変わらない。

しかし、宗教の卑劣な所は、

科学や哲学の分かり易い表面(論理化した一部)をすくい取り、

人類が手に入れた知識や経験、または人類が生み出した道徳心や倫理観を、さも神や宗教が創り出したかの様に見せ掛け、自分達の手柄功績に仕立て上げる狡猾さだ。

宗教自体は『妄想』で構成されているだけなので、中身は空(から)だが、巧妙に科学や哲学を取り入れ、『科学や哲学の正しさ』を利用して、大衆を騙す)




『悩む事』が哲学だと信じている人間もいるが、

『解明する為の思考』が哲学であって、悩む(自己満足に浸る)事は哲学では無い。



過去の科学や哲学を記憶しただけで、科学者や哲学者を自称している人間もいるが、彼等は科学者でも哲学者でも無い。

彼等は科学も哲学もしていないからだ。


特に哲学者を自称している人間には、それが多い。

彼等は哲学マニア哲学者マニアであって哲学者では無い。


哲学者の言葉や哲学者自身を『絶対的に正しいもの』と妄信する行為は宗教であって哲学では無い。




まだ『この世界に存在していない(人類が認知出来ていない)何か』を構想し、実現(論理化)する為の思考・努力をしている人間が科学者であり、哲学者だ。


(実現(維持)出来ない論理は ただの自己満足(妄想(宗教))だ。

必ず どこかで破綻している。


文系理系と わざわざ分けようとする馬鹿もいるが、

論理とは数式(言語式)であり、数式とは論理の事だ)