「賭け」とは、本来「勝敗が分からない」事に対して使われる言葉だ。
しかし、一般的にギャンブルと呼ばれているものは、やる前に既に結果は決まっている。
「主催側が必ず勝ち、プレイヤー側が必ず負ける」
(商売として成り立たないからね)
ギャンブル自体には、何の生産性も無い。
つまり、自分で金を生み出す事が出来無い。
巨大な建造物も、その維持費も、
広大な土地も、
使用されている機器も、
そこで働いている人間の人件費も、
その莫大な費用の全ては、
「負けた人間の金」
で出来ている。
ギャンブルをする人間は、
自身がギャンブルをしている事から目を背ける(またはギャンブルをしない人間からの批難を回避する)為、
「ギャンブルをする目的は、ゲーム(興奮・達成感・満足感)だ」
という言い訳をよくしているが、それは明確に違う。
ゲームが目的であるなら、「金」を賭ける必要が無いからだ。
ゲームそのものが目的であるなら、金を賭けずにゲームそのものをやればいいだけの事だ。
ゲームセンターのメダルゲームやカードゲームをし、馬やボートや自転車やバイク等のレースを観戦すればよく、
金を賭ける必要など無い。
ギャンブルの目的はゲームでは無く、明確に「金」だ。
人間の脳は「金」を賭ける事で、勝利時の達成感・満足感が何十倍何百倍にもなってしまう。
その快楽を味わう為に、人間はギャンブルに狂う。
ただコインの裏表を当てるだけでも金が賭かると、人間は異常に興奮する。
しかしシンプル過ぎると、商売として成り立たず(二分の一になってしまうので)、
自分(胴元)の利益を確保してしまうと、いくら馬鹿でも自分(賭ける側)が最終的に負ける事に気付いてしまう。
だからギャンブルは、「それ」に気付かせない為に より複雑により巧妙に仕組まれている訳だ。
しかし、どんなに複雑巧妙にした所で、根本原理(主催側が必ず勝つ)は何一つ変化していないので、
結果(プレイヤー側は必ず負ける)も変わらない。
ギャンブル以外に達成感・満足感・(それなりの)金 を得る事が出来る人間は、ギャンブルで負けても さほどそれに囚(とら)われる事は無い。
しかしギャンブルでしか達成感満足感を得る事が出来無い人間は、ギャンブルで負けると、なんとかギャンブルで取り返そうとし、そこから抜けられなくなり
「ギャンブルがしたいんじゃない。ゲームがしたいんだ」
という子供の言い訳を繰り返しながら、現実から目を背け続ける事になる。