世界を平和にする方法 (争いが生み出される仕組み)

「世界を平和にする方法」


それは、全ての人間に

『自分が世界の加担者だ』

と、自覚させる事だ。


知能の低い人間程、加害者意識は低く、被害者意識は強い。

(これは、知識や経験が少なく精神的に未成熟である程、「自分の行為の結果」を推測する能力が低く、加害者意識が発生しにくくなり、自分が招いた不利益でさえ、他人から与えられた損害だと認識してしまう為だ)



この人間社会に起きている「全ての問題」は、社会が容認しているから存在している。

社会は人間が構築している。



この人間社会が、いつまで経っても平和にならないのは、

この人間社会に『愛』と『正義』が満ち溢れているからだ。


人間達は、その『愛と正義という名の欲望』を満たす為に、

常に争い合う。

(正義は勝つ!…この世界には正義しか存在していないのだから当たり前だ)

無知で、幼稚で、未熟で、自己中心の『愛と正義』。


困った事に ほとんど全ての人間は、自分(他人)の愛や正義というものに疑問を持つ事が出来ない。


この世界に 愛や正義 の様な、人間が妄信する「絶対的に正しいもの」など存在しないと人類が気付くまで、

この世界から争いはなくならない。



小さな子供が、

玩具や遊具を取り合って喧嘩する。

この玩具(遊具)は、自分が使う事こそ正しいのだ と。


大人の争いや戦争も、これと何等変わらない。

『自分(達)こそが正しいのだ!!!』



正義とは、

自分(達)の考え・思想・価値観・行動 こそが絶対的に正しいという妄信。


愛とは、

対象を利用して自分の欲望を満たす行為を、

『相手の為』と自分に都合良く解釈・美化し、それを妄信する事。



人間の思考行動は、全て 自分の為 だ。



愛や正義の犠牲になる者が、
その愛や正義に抵抗出来ない時、
そこに「不平等」が生み出され、

愛や正義の犠牲になる者が、
その愛や正義に抵抗した時、
そこに「争い」が生み出される。



人間は、
自分の判断・行動が悪だと認識している時、
人間が良識や倫理観などと呼んでいる原始的本能を抑制しようと働く本能が機能し、
人間が罪悪感と呼んでいる感情が生み出され、人間の利己的行動を抑制する。


しかし、自分の判断・行動が
「相手の為」「皆の為」「神の為」などと、
愛や正義だと信じ込んでしまうと、
理性や良識・道徳心・倫理観 等の本能が働きにくくなってしまい、どんな残酷な行為も喜び(悦び)を生み出す行為になってしまう。

だから人間は、愛や正義を無制限に求めてしまう。自分の為に。


知識や経験が少なく精神的に未成熟な人間程、愛や正義といった快楽に支配されやすい。

愛や正義を分かり易く表現すると「麻薬」だ。



よく 世界を平和にするには、

「異なる 民族・宗教・文化 を認め合う事だ」

という理論を耳にするが、

それは大きな間違いだ。



世界を平和にしたいのであれば、

違いを認め合うのではなく、

『違いなど無い』『そもそも全ての人間は違う(全く同じ人間など存在しない)』

という事に気付く事だ。


そもそも 民族 などというものは存在しない。

この地球上には、同種の人間と名乗っている猿がいるだけ。


宗教の違いなど存在しない。

全ての宗教は、自分達で作り上げた妄想の神を信じているだけであり、違いなど無い。


固定された文化など存在しないし、完璧な文化も存在しない。せいぜい数十年から数百年程度の最近の慣習を文化と呼んでいるに過ぎない。



根源的な部分(99%)は同じでも、

「端々(1%)が違う!!」

(肌の色が違う。目の色が違う。言語が違う。神の名が違う。食べるものが違う。)

と、人間は「全く(100%)違う!!」


と思い込んでいる。



では何故 人間はわざわざ「分けたがる」のだろうか?


それは、知能の低い人間は、

小さく狭い範囲で区切った方が 把握・思考 しやすいからだ。


そして、管理する側(支配者側)の人間からすれば、国家や民族という概念を利用した方が管理・支配・所有しやすいからだ。


最も根源的な要因は、

「自分達の集団こそが正しく安全であり、他集団は危険な存在だ」

という原始的な猿の本能が強く働いているからだ。(だから自集団と他集団を分けてしまう)



違いを強調すればする程、

『違うのだから理解し合える訳が無い』

と、人間は思考を放棄してしまい、

『そこ』に争いが生み出される。



イスラム北朝鮮 大日本帝国(日本民族至上主義 鬼畜米英 非国民 売国奴 反日)

トランプ 安倍(こんな人達) ヘイト 人種差別 etc…


人間は「(自分に都合の良い)違い」を強調する事で、

争いを正当化しようとする。


「相手が間違っている」=「自分(達)が正しい」

という幼稚な論理(屁理屈)。

相手がどんなに間違っていようが、それは何等 自分の正しさの証明にはならない。



「相手が間違っている【悪】」

「自分(達)は正しい【正義】」

だから、罰を下さなければならない。攻撃しても構わない。いや、攻撃しなければならない。


こちらがやっているのは訓練だ!
お前がやっているのは挑発だ!

抑止力として必要だ!
世界を不安定にさせるから、お前は放棄しろ!


同じ事をやっている同種の猿同士で、お互いを罵り合う。(反応も同じ)



同じ人間など存在しないが、

大勢を利用して利益を得たい人間達は、

あいつは間違っている(自分達は正しい。だから自分達とは違う)、国が違う、民族が違う、宗教が違う、文化が違う

などと、違いがあって当たり前なのに、

さも『違い』が特別な事であるかの様に声高に喚き散らし、自分の頭でものを考え無い大勢多数の人間達は、その声に従ってしまう。


その行動の結果を人間は、争い・喧嘩・虐待・いじめ・テロ・戦争などという名前で呼んでいる。




「相手を理解する」という事は、

「相手の全てを許容(肯定)する」という事ではない。