科学と宗教の定義

基本的に人類がやること全ては『科学』

『観察して考える』
それを人間は科学と呼んでいる

唯一の例外が
『観察せず決めつける』
これを人間は宗教と呼んでいる

例えば
『世界は神が作った』

これには観察も思考も存在しない

『結論は出た。だから観察も思考もしなくていい』
という観察と思考の労力から逃げる為の言い訳があるだけ

知能の高い人間は科学し
知能の低い人間は宗教をする

 

 

 

救世主とは誰なのか?

実は『救世主』というものは
何処にでもいる

ただ人間(動物)は人の話を聞く知能が無い

人間が見ているものは

目の前の美味しい食べ物
快楽を与えてくれる娯楽

それを追い求めた結果
払わなければならない苦痛

つまり『目の前の快楽と苦痛』しか見えない

近い将来も、遠い未来も
説明された所で
知能が低いと分からない

一個人(他人)が苦しんでいても
人間は無関心だが
その苦しみが全体に行き渡った時
(自分の所まで来た時)

初めて人間は他人の話に耳を傾ける

 

 

 

様々な神が生み出される理由

何故、様々な神が生み出されるのか?

それは
人間の作るキャラクターは
作った人間そのものだからだ

人間の作る神は
『作った人間と同じもの』を差別する

だから
差別された人間は
『自分達を特別扱いしてくれる神』を作ることになる

人間が差別をやめない限り
人間の作る神も差別をやめず
神(宗教)が一つになる事はない

 

 

 

戴く神が違ってもそれぞれの宗教が共通概念を主張する理由

宗教によって信仰する神は違う
にもかかわらず
彼等はほとんど同じ事を主張している

それは何故なのか?

それは
彼等の本能が同じだからだ

本能が同じだから願望も同じになる


『自分の本体は、肉体ではなく魂。
 肉体が死んでも、魂は死なない』という願望

『死んだ後は苦しみの無い世界で生きたい』という願望から
『天国』という概念が生み出される

『自分達を苦しめた人間や嫌いな人間とは一緒に居たくない。
 そいつ等は永遠に苦しめばいい』という願望から
『地獄』という概念が生み出される

 

 

 

 

 

 

宗教の成長は全てまやかし

宗教で成長出来ると信じている人間もいるが
宗教での成長は全てまやかし

成長出来ているのであれば
『宗教の本質』が見抜けるようになり
宗教に騙される事がなくなる

騙され続けているという事は
成長していない証明

(そもそも宗教というものは人間を成長させないように構成されている)

現実に宗教がやっているのは
人を成長させると謳って
人を集め金を巻き上げ

思考放棄人間を量産し
社会を悪化させる事で宗教に依存する人間を増やし
勢力を拡大し
信者という養分から吸い上げた利益で
上位にいる者達を肥え太らせているだけ

問題を神に丸投げする事で
問題解決の為の思考のストレスから解放され
何かを悟った気になったり
自身が成長したかのように錯覚しているだけ

(知能の低い人間はとにかく思考という負担に耐えられず
 その負担を解消してくれるものに飛びつく)


ちなみに宗教の本質とは
『搾取組織構造』の事ではなく
『妄想 (幼児の願望)』の事

 

科学は悪、宗教は善という現象が起こる理由

人間から見て、本質的には
科学は善で、宗教は悪

科学は人間を成長させ
宗教は人間を腐敗させるからだ

しかし一般的なイメージでは
科学は悪のレッテルを貼られる事が多く
宗教は善のレッテルを貼られる事が多い

何故そうなるのかを簡単に説明すると

『科学は出来て当たり前』
『宗教は出来なくて当たり前』

だからだ

科学が効果を発揮した時
それは当然とみなされ
あまり感謝されない

しかし何かミスをした時
当然それは非難される

対して宗教は
祈り願ったものが叶うと絶大に感謝され
叶わなくても非難される事はほとんど無い


科学が何か効果を発揮する為には
それに応じた『金や労力』が必要

存在しない神や仏は
何の効果も発揮しないが
何も要求しない (要求するのは宗教家)


科学を非難する人間は
見限られはするが
攻撃される事は少ない

宗教を非難する人間は
宗教を信じている人間達から
強烈に攻撃されてしまう

その為
知能の低い人間の数が増える程

科学を非難する人間の数は多くなり
宗教を非難する人間の数は少なくなる

結果
社会の成長は停滞し
腐敗が蔓延する事になる

成長したくない人間にとっては
一見、心地好いが
当然いつか腐敗の責任を取らなければならなくなるが
知能が低い為、その因果関係が分からない

 

 

科学の本質と宗教が科学を敵視する理由

『科学』というものを

人間が持っている特別な力
歪んだ力
不自然な力

というイメージで見ている人達がいるが

科学とは
『この世界を動かしている理を人間の言語で説明したもの』
でしかない

『世界で起こっている現象(自然)を説明したもの』
それを人間は科学と呼んでいる

説明出来るということは再現出来るという事でもある

その再現を悪用した時
科学は悪のレッテルを貼られる

悪用するのは科学ではなく人間


この世界を構築し
動かしているのは『理 (法則)』であり

人間の言う『神』とはこれ

しかし
幼児のまま大人になってしまった人間達は
自分を守ってくれる『理想の保護者』を追い求める

宗教家からすると
『自分達を特別に愛してくれて、特別扱いしてくれる者』
が神であり

『特別扱いしてくれない理』は神としては認めない

だから宗教家達は
理想と違い自分達を守ってくれない
本当の神を非難し続ける事になってしまう

宗教家というのは
『思春期で反抗期で大人になりたくない子供』


自然をそのまま観察し、自然の声をそのまま聞く者

それが科学者

自然を自分の都合の良いように曲解し
自分を気持ち良くさせたり
曲解した嘘で金を騙し取り、社会に寄生する者達は

自分達をシャーマンや宗教家などと称している


小さい頃はお願いするだけで
パパやママが願いを叶えてくれた
ずっとこれが続くはず

勉強嫌い、努力嫌い
祈るだけで願いを叶えてもらう

これが宗教の本質