知能の低い人間は世界(現実)を逆に認識してしまう。
例えば、
街中で自分の好きな有名人を見かけ、声をかける。
それは「相手の為」ではなく「自分の欲望を満たす為」だが、
知能が低い人間はそれが正しく認識出来ず、
「相手の為の行動」だと認識してしまう。
だから(相手の時間を奪っておきながら)、
相手が自分の求める快楽を満たす行動をしてくれなかった時、
相手に怒りを感じ、
「がっかりした」「失望した」「そんな人だとは思わなかった」
となる訳だ。
相手に迷惑をかけているのは自分なのに、「相手に迷惑をかけられた」と認識してしまう。
「愛しているのに」
「産んでやった恩」
「育ててやった」
「採用してやった」
「働かせてやった」
「(迷惑をかけているのは自分なのに)注意された」
等々
街中を歩いている時、買い物をしている時、カフェなどでくつろいでいる時、
見ず知らずの人間に話しかけられる。
その人間は「幸運の石」なるものを買ってくれと持ちかけてくる。
その石は身に付けているだけで、
宝くじに当たり、
病気にならず、
怪我や事故にも遭わず、
常に健康でいられ、
大して勉強せずとも受験に合格し、
良い仕事に就け、
スポーツでも仕事でも良い成績が上げられ、
人間関係も良好になり、
恋人・結婚が出来、
子供に恵まれ・・・
後何かあったかな?
まぁとにかく、そこらの宗教が知能の低い人間達から金を巻き上げる為の方便を並べ立て、
(そもそも宗教にそんな力・効果があるのであれば、
その力で自立した生活をすればよく、
まっとうに働いている人間から金を騙し取る必要が無い。
騙し取らなければ生活すら維持出来ないという事は、
自分達が何の力も持っていないという事の証明でしかない)
本来10万円の石が、貴方だけに今なら1万円で手に入ると、
「無価値な石」と「価値ある1万円」を交換しようと熱心に売り込んでくる。
それを丁重に断ると、
「自分の欲望」を満たせなかった相手は、
「こんなにも貴方の為に頑張っているのに」と、
怒りと憎悪の目で睨み付け、罵詈雑言を浴びせかけ、不満を撒き散らしながら去っていく。
更に困ったことに、
その逆恨みの不満に同調し、賛同する人間までいるので、
人間社会が平和な理想郷になる日はまだまだ遠い・・・