洗脳と教育

ほぼ全ての「教育」は「洗脳」だが、

洗脳と教育では目的が違う。


簡単に言えば、

洗脳とは「疑問を持たせない事」

教育とは「疑問を持たせる事」

だ。



人間は、知識が増えれば疑問が少なくなる と錯覚してしまうが、それは全くの逆だ。(この世界の全ての情報を理解した場合は別。そんな事は不可能だが)


例えば、「自分の知識(知っている情報)」を「円」にした場合、その円の外側に「疑問(知らない情報)」が生み出される。

つまり、円が大きくなる程(知識が増える程) 疑問も増える事になる。


無知の知という奴だ。

知識が増える程、疑問が増え、自分が無知である事を知る(気付く)。


知識の少ない人間は、自分が無知である事に気付く事が出来無い。

知識が少ない分、疑問も少ないからだ。

つまり、「自分は知っている」と錯覚して(思い込んで)しまう。


現段階の人類から見れば、この世界の情報量は「ほぼ無限」だ。

対して、人類(史上)の中で最高の知識を持って(知って)いる人間の知識量は「1」だ。

(赤ちゃんの知識量は0。遺伝子の知識量(情報蓄積量)は100)


人間は、この世界の事をあまりにも知らない。「(自分が)知らない」という事すら全く理解出来無い程に。

だから、何の根拠も無い迷信を信じてしまったり、科学が万能だと信じてしまったりしてしまう。



人間が教育と呼んでいるもののほとんどは「正解を教える事(つまり洗脳)」だが、

教育を受けた人間の知識が増える事で、

その人間の知識の外側に疑問が生み出される。

そうやって 人類は進歩してきた訳だ。



例えば「洗脳」の最も分りやすい例は「宗教」だ。

「神という全て(人間の知らない答え)を知っているものが存在し、「それ」に媚びる(願う・祈る)事で答えを教えて(叶えて)貰おう」

という考え方。


つまり、「自分の疑問(思考(試行錯誤))」を放棄させ、

「神に祈れば願いは叶う」

という「根拠の無い、楽な道(手法)」を提示し、

祈る(服従する)以外の選択肢を奪ってしまう。


これは、単に「神の教えに従え宗教」だけではなく、

「自分を磨け宗教」も同じだ。


何故なら、その自分の磨き方そしてその結果が、提示されたもの(神の教え、つまり洗脳)を なぞったもの に過ぎないからだ。



例えば ブラック企業(国家・軍隊 等)で「教育」と呼んでいるものは、分りやすい洗脳だ。

自分の組織に疑問を持たせない為の教育(服従訓練)。