天国と地獄

この世界の何処にも、天国も地獄も存在しない。

この広い世界の中、人間が生きられるのは唯一ここ(地球)だけだ。


一昔前までは、地面の下は地獄であり、雲の上は天国(神の世界)だった。


存在しない「天国や地獄」に送られる「選別手法」を論じ合うよりも、

人間が唯一生きられる「この場所」を、

「天国にするか地獄にするか」を論じ合うべきだろう。



妄想を見ている割合が多い人間程、

現実と向き合う割合は少なくなる。

(あの世があると洗脳されている人間は、

現実を真剣に生きる気が まるで無い。

その上、その事実に全く気付いていない)


人間の処理能力は有限であり、それは人間自身が考えているより遥かに低い。

人間は、言語や文字で、過去の膨大な情報の蓄積を、さも自身だけで得た(獲た)情報であるかの様に錯覚しているが、

一個体が獲得出来る情報は微々たるものだ。

人間が所持している情報の多くは、他者が獲得した情報であり、

であるが故に、人間はとても洗脳され易い。

他者からもたらされる膨大な情報を、正しく判断し処理するには、それ相応の知識・能力が必要となる。

しかし、知識や経験が少なく、能力の低い人間程 それに気付けない。







では何故 人間は現実より妄想を重視しようとするのか?

それは「その方が楽だから」だ。


「現実(周囲の環境)」を都合良く改変しようとすると、

高度な情報収集・情報分析・実現する実力などを要求されるが、

人間の脳は「面倒(高度)な思考」を とても嫌がる。


人間の脳は、すでに答えが出ている事柄を記憶・処理(計算)する事には前向きだが、

まだ人類(自分)が認識出来ていない事象を解明する事には消極的だ。


だから、「現実(世界)を解明する労力」を怠ける為に、

「妄想で疑問に答え」世界を解明した気になる。


知能の低い個体程、

「難解な現実の解明」より「思考せずに済む安易な妄想」

を選択する傾向が強い。

創造論」などは その典型。


科学は論理数式で現実を解明しようとし、

オカルト(宗教)は想像力だけで謎を解明しようとする。



そして、その人間の「楽をしたい」という本能を利用して「支配する為」だ。

「選別基準(善と悪)」を自分(為政者・宗教指導者)達に都合良く構築する事で、

「支配されている」と自覚させずに支配する事が出来る。


「体制や宗教が主張する善悪」には必ず「服従」が組み込まれている。