宗教の本質を抜き出し簡単に説明すると、
あなたの前に いかにも大仰な(こけおどしの)衣裳を身に付けた人間が現れる。
(宗教の全ては「虚飾と こけおどし」だけで出来ている。宗教施設や衣装などはその典型。中身が無いので 見せかけで本質の見えない人間の目を誤魔化す)
その人間は こう主張する。
「あなたが今まで幸せに生きてこられたのは、全て私の御蔭です。
だから私に感謝しなさい。
そして感謝の証しとして、あなたの稼いだ金を私に捧げなさい。
これを拒否した場合、あなたに罰を下します」
宗教を要約すると こうなる。
結論を言ってしまえば、「現実」と「宗教」は全くの無関係だ。
因果関係は全く無い。
宗教とは、「人間が理解出来ていない現実(例えば、人間の幸 不幸)」に便乗して金儲けをしている詐欺集団に過ぎない。
本来 人間が持っている「倫理観や道徳心」に付け込み、
信じる事・感謝する事 = 善
疑う事・感謝しない事 = 悪
と洗脳し、無思考・無判断な人間に仕立て上げ、
信頼や感謝をねじ曲げ自分達に向けさせ、金や権力を集める。
その人間が本来身に付けている「倫理観や道徳心」が、さも宗教の中だけに存在しているかの様にすり替え洗脳する。
初詣という洗脳。
少し前に 賽銭泥棒 がニュースになっていたが、
賽銭泥棒とは全ての宗教家の事だ。
定義には、
賽銭とは「神仏に奉納する金銭」とある。
しかし実際は、全ての賽銭は宗教家の贅沢三昧の生活費として消費されるだけ。
神仏に奉納すると謳って集めた金銭を、宗教家自身が横領し使い込んでしまっている訳だ。
宗教家が脅迫する時によく口にする 罰当たり とは何だろうか?
もし神仏なるものが存在しているなら、真っ先に宗教家に罰を下すだろう。
しかし残念ながら神仏なるものは存在していないので、宗教という詐欺集団は野放しになってしまっている。
宗教自体は、
存在しない神仏(悪魔でも何でも構わないが)に祈っているだけの、何の生産性も無い現実逃避に過ぎず、
宗教単体では集団を維持していく事が出来ない。
だから、
洗脳した人間を働かせる(生産させる)か、
働いている人間を洗脳し金を出させる
というシステム(社会寄生)が、宗教の主な運営手段となる。
神仏なるものが存在し、「それ」に媚び諂うだけで全てが叶うのであれば、(自分達だけで)一生媚び諂って生きればよい。
しかし当然、存在しないものに どんなに媚び諂った所で、それはただの自己満足・現実逃避に過ぎず、一円にもならない。
だから、宗教は必死になって(祈り(媚び諂い)以外に)「布教活動」と自称している「洗脳活動」に邁進する事になる。
そして その布教という「縄張り争い(対宗教・対無神論)」が、数え切れない程の争い・戦争を引き起こしてきた。
結果、その度に膨大な量の不幸な人間を生み出し、その不幸を利用してまた信者を獲得する。
そうやって宗教は、人間社会に深く侵食し、世界中に蔓延してしまった。
「宗教」は人間の不幸・不安・恐怖を餌に、際限無く肥え太っていく。
人類が「宗教」という質の悪い病を克服する為には、長い時間が必要となるだろう。
その時間を少しでも短縮する為に「宗教」という悪魔を考察していこう・・・