昭和と平成とサイコパスとあほう鳥

昭和では「当たり前で常識だった事」が、平成では問題視される。

昭和では許されていたのに、平成では許されない。

パワハラ・セクハラ・虐待・性差別・人種差別・奴隷(身分)制度・部活・スポーツ指導・教育・暴力団・企業構造・隠蔽・改竄・忖度・社会構造(規範) etc・・・


これは勿論、昭和平成だけの特別な変化では無い。

人類が猿の領域から人間の方向に進めば進む程、「猿の手法」から「人間の手法」への変革(より良い正解)を求められる。


つまり、問題視され始めたのは、「その社会(その範囲の人間)が賢くなったから」だ。



例えば、その昔、

雨が降らない 作物が収穫出来無い。

この世界(現象)をコントロールしている存在がいる筈だ。

「それ」に媚びへつらい服従すれば、願いを叶えてくれる筈だ。

自分達が大事な物を捧げよう。

食べ物。家畜。着物。酒。・・・命。


例えば、

日本国民は全て天皇の所有物であり、天皇の為に生き、天皇の為に死ななければならない。


御上に逆らえば「打ち首獄門(首を切断し、頭部を見せしめの為にさらす)」。

武士が町人を切り殺したくなったら「切捨御免」。

(勿論、大衆は為政者の所有物(財産)であり、簡単に殺されては「損害」になってしまう。だからそこにルールを作るが、「それ」は財産を維持する為のルールであって、現在の様な人権を守る為のルールでは無い)


その時代においては「それ」が正解扱いされていても、「それ」は現在の正解では無い。


人類は「正解」に辿り着いた事が一度もなく、「より正解に近い間違い」を更新してきたに過ぎない。



人間が自分(達)が馬鹿(愚か)だと自覚出来た時、そこに進歩が生まれる。

「現状の間違い」に気付くには、それまでよりも高い知能が必要となる。

しかし馬鹿(人類)は馬鹿なので、なかなか自身の馬鹿さ加減を自覚する事が出来無い。

(馬鹿のジレンマ・馬鹿の限界・馬鹿の壁)


「人間の思考」は、全て「自分の為」であり、

全ての人間はサイコパスだ。

人間は身近な人間の死には敏感に反応するが(自己の生存に対する影響が強い為)、

毎日 他人が死ぬニュースを目にしても、さほど反応もしない。

個体によって「脳の反応する範囲」に差があるだけだ。

アホウドリは、周囲のアホウドリが人間に捕まえられていても逃げもせず餌を啄んでいたからアホウドリと名付けられたらしいが、

「それ」は人間自身の事でもある。



「めでたし めでたし物語」

子供の内はハッピーエンド創作物を楽しんでも問題無いが、

「それ」しかないのは、どうなのだろうか?


勿論、

「不条理や理不尽に満ちたこの世の中で、せめて創作の中くらいは幸せであるべき」

の様な感覚は理解出来るが、

あまりにも人間達は、

「不幸がありました。苦労しました。

でも結果、今は皆幸せです。

止まない雨はありません。

めでたし めでたし」

という「洗脳」に掛かり過ぎていないだろうか?


理不尽や不条理が自分の人生に降りかかっても、

「なんとかなるさ ケセラセラ レットイットビー」

の様な概念を言い訳として使い、全く真剣に問題解決する気が無い。

それ等の言葉は、あくまで最善を尽くした後の言葉であって、

試行錯誤や努力から逃げる為の言葉では無い。



一昔前には

「漫画ばかり読んでいるとバカになる」

の様な論調もあったが、漫画を読むからバカになるのではなく、

安易な めでたしめでたし話 に洗脳され、自分で問題解決をする事を放棄する事で、

結果的に人間は馬鹿になる。

メシア(救世主)思想などは、その典型。

何か問題が起こっても、祈る(想像の存在に媚びへつらう)だけで、

自分で問題を解決しようとはせず、

不幸だ、試練だ、と自己満足(現実逃避)に浸るだけ。


日本で言えば、水戸黄門などの典型的な「勧善懲悪 物語」なども それ。

圧政に苦しんでいても、いつか誰かが救ってくれる。


問題が起こっても、その問題を直視しようとせず、

「何とかしなければならない」

というエネルギーを、妄想や儀式に費やし、自分自身を誤魔化してしまう。



めでたしめでたし話に洗脳されている人間の生態を簡単にまとめてみよう。


「人間は知的生命体です。霊長類です。ホモサピエンス(賢い人)です」

「でも難しい事には興味無いです」

「社会問題や環境問題や政治の問題なんか興味無いです」

「興味があるのはグルメと娯楽だけです」

「快楽を満たす為なら何時間でも並べます」

「でも難しい事は一秒たりとも考えたくないです。耐えられない苦痛です」

「誰かが何とかしてくれます。最後には必ずハッピーエンドです」

「皆、一生懸命生きてます」

「ヒーローが活躍する映画やマンガが大好きです」

「何の努力も苦労もせずに、さも自分がヒーローに成った様な爽快感や達成感が味わえます」

「でも現実で自分がヒーローに成る気はさらさら無いです」

「誰かがヒーローに成ってくれます」

「そのヒーローが、自分に労力や金銭の協力を求めてきたら、自己満足を満たす範囲では協力します」

「その範囲を超えれば、そのヒーロー気取りの人間と断固として戦います」

「自分に利益では無く犠牲を強いる奴は、ヒーローでは無く悪だからです」

「できればヒーローには、自分が協力出来る範囲内で、後はヒーロー自身で何とかしてほしいです」

「それが無理なら、自分とは関係無い所で頑張ってほしいです」

「ヒーローが為し遂げた功績は、なにくわぬ顔をして皆で分け合います」

「勿論、ヒーローは皆で褒め称え、祭り上げます。次も頑張ってほしいです」


「地球は宇宙(世界)の中心です」

「人間は神が造った特別な存在です」

「人間がお腹をすかせていると、下等動物達が自分から火に飛び込み、美味しく食べて下さいと懇願し、命を差し出し人間のお腹を満たしてくれます」

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